2026年1月13日、長年にわたり日本の報道番組の最前線に立ち続けたキャスター・久米宏さんの訃報が伝えられました。
『ニュースステーション』をはじめとする番組で、鋭い言葉と独自の視点を武器に、国民に大きな印象を残した久米宏さん。
単なるニュースの読み手ではなく、日本のテレビ報道の在り方そのものに大きな影響を与えました。
その一方で、久米宏さんの私生活については、これまで多くが語られてきたわけではありません。
華やかな表舞台の裏で、どのような半生を歩み、どんな思いを抱えながらキャスター人生を全うしてきたのでしょうか。
本記事では、訃報をきっかけに久米宏さんの半生を振り返り、国民的キャスターとしての軌跡と、その歩みを支えた家族の存在について調べた情報を紹介していきます。
久米宏の原点|アナウンサーを志した若き日々
81歳で亡くなられた久米宏さん。
久米宏さんといえば「ニュースステーション」のメインキャスターとして広く国民に知られる存在でした。
久米宏さんの原点をたどると、東京都品川区の品川区立城南第二小学校時代に行き着きます。
幼少期の久米さんは、決して目立つ存在ではなかったそうですが、学校生活で培われた「考えて言葉で伝える力」は、のちのキャスター人生につながるとても大きな土台となりました。
その後、大学まで進んだ久米さんは、次第に言葉や表現を通じて社会と関わる仕事に関心を深めていきました。
こうした時代背景の中で、久米さんはアナウンサーという職業に強い魅力を感じるようになりました。
アナウンサー人生の始まり
大学卒業後、1967年4月にTBSアナウンサー12期生として入社。
元々体が丈夫ではなかった久米さんは、激務と極度のあがり症から結核を患うなど、体調を崩しがちでした。
1970年に『永六輔の土曜ワイドラジオTokyo』で中継レポーターとして起用されたことがきっかけとなり、状況が好転していきました。
1978年『ザ・ベストテン』で司会を務め、翌年にはTBSを退社しフリーアナウンサーとして独立しました。
1985年10月には、夜の大型ニュースショー番組『ニュースステーション』がスタートし、実に18年6か月もの長い年月をメインキャスターとして務めました。
フランクな司会ぶりが民放番組に変革をもたらし賛否両論を呼び、注目を集めました。

幼い頃に身につけた「考えて、言葉で伝える力」が、後のキャスター人生の土台になっていたのですね。
第一線を退いた後の人生と晩年
2004年3月26日、『ニュースステーション』最終回を迎え、エンディングでは”今まで頑張った自分へのご褒美”としてビールを飲みながら視聴者に手を振り、18年半のメインキャスター生活を終えました。
その後の活動としては、選挙特別番組やスポーツ番組の取材など単発でのテレビ出演を行いながら、2006年にはラジオ番組『久米宏ラジオなんですけど』でパーソナリティを務め、2007年にはその功績が認められ、第44回ギャラクシー賞のDJパーソナリティー賞を受賞しました。
2019年にはNHK『あさイチ』に出演し、報道の独立性について率直な意見を述べたことで大きな反響を呼びました。同年にはインターネット動画番組『Kume*Net』を開設し、テレビに代わる新たな発信の場を選択します。
ラジオでは、長年続いた『久米宏 ラジオなんですけど』が2020年に終了。
2021年には活動休止を宣言しました。晩年には自叙伝を刊行し、報道と権力の関係について自らの言葉で記録を残しています。
2026年1月、久米宏さんは81歳で逝去しました。
妻の久米麗子さんによれば、臨終の際には久米さんの好物であったサイダーを一気に飲み干し、息を引き取ったのだそうです。
『ニュースステーション』の最終回が思い出されるエピソードですね。
そして、華やかなキャスター人生の裏側には、常に久米宏さんを支え続けた家族の存在がありました。
久米宏を支えた家族|妻との関係と私生活
久米宏さんにお子さんはいなかったとされていますが、奥様である久米麗子さんとは過去に別居した報道がありながらも、離婚はせずに長年連れ添われました。
- 久米麗子
- 1945年兵庫県明石市生まれ
- 1969年久米宏と結婚
久米麗子さんは、共立女子大学出身で、20代の頃はモデルとしても活躍していました。
結婚後は久米宏さんのスタイリストとして、長年陰で支え続ける存在となりました。
久米宏さんは、長年にわたり国民的キャスターとして注目を集めてきましたが、その一方で私生活について多くを語ることはありませんでしたが、多忙を極めたキャスター人生の裏で、長年にわたり久米さんを支え続けてきた存在であることは間違いありません。
18年以上にわたる『ニュースステーション』のメインキャスターという重責を担えた背景には、家族の理解と支えがあったと考えられます。
久米宏さんの訃報後に、麗子さんはインタビューの中で以下のように語られています。
「自由な表現者として駆け抜けた日々に悔いはなかったと思います。常に新しいことに挑み、純粋な心で世の中の疑問を見つめる人でした。彼は若いスタッフが大好きでした。楽しそうに他愛もない冗談を交わし合うひと時は、かけがえなのない時間だったに違いありません。そして何よりも、多くの皆さまに向けて自分の思いを偽らずに発信できることが、彼の最大のモチベーションでした。本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます」
引用元:東スポWEB
久米麗子さんの言葉から伝わってくるのは、久米宏さんが最後まで「表現すること」に真摯であり続けた人物だったという事実です。
権威や空気に流されることなく、常に自分の疑問や思いを言葉にし、社会に問いかけ続ける姿勢は、キャスターとしてだけでなく、一人の表現者としての生き方そのものでした。
また、若いスタッフとの何気ない会話や現場での交流を大切にしていたというエピソードからは、テレビの前では見えにくかった温かく人間味あふれる一面もうかがえます。
そうした日々の積み重ねが、長年にわたって第一線で活躍し続ける原動力となっていたのでしょう。
公の場では鋭い言葉で社会と向き合いながらも、私生活では妻・麗子さんと静かに寄り添い、支え合いながら人生を歩んできた久米宏さん。
国民的キャスターとしての功績だけでなく、家族に見守られながら、自分らしい表現を貫いた一人の人間としての半生は、これからも多くの人の記憶に残り続けていくはずです。


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